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サウンドノベル型乙女ゲーのヒロインの話

書きながら考えたのでまとまってないですよ

口調もだんだん砕けていきますよ

 

 

 

ゲームがロールプレイ・自己投影・主人公との同一化を容易くする媒体であることには完全に同意なんですよ。乙女ゲーに限らず。

 

ただ最近の乙女ゲーはそれが難しいけどなぜだろう?

みたいな話をしてます。ヒロインの個性じゃなくて、ゲームの仕組みというか「サウンドノベル型の乙女ゲー」が増えてきたせいじゃないの?という仮説の肉付けです。

 

私の乙女ゲーロードの始まりは友達に教えられてプレイした遥かなる時空の中で(無印・PS版)で、当たり前のように自分の本名をプレイして、最初のEDは確か泰明さんをこっちに連れて帰ってくるEDだったように思います。
今でこそ「住所不定無職で世間の常識も怪しい顔だけ綺麗なCV石田彰の男」を女子高生が連れて帰ってくるヤバさにはわわ;とはなるものの、当時は私も十代そこそこの小娘であったわけで、小娘なりに片思いしてる相手はまた別に、異次元存在との恋愛に足を踏み込む大きなきっかけになったわけです。

ここで簡単にゲーム歴をば。
私には少し年の離れた姉がいて、姉も私が知らない間に女王候補だったらしく、なぜかそこでシンクロニシティが発見されたのですがまぁそれは余談なのでいいです。
世代的にはPS無印後期のゲームからプレイし始めた層で、サモンナイト幻想水滸伝FF9聖剣伝説LOMヴァルキリープロファイル、といった名作をごりごりやってたプレイヤーでした。
主人公の名前が固定なゲームももちろん多くプレイしてきましたが、私がやったゲームは主人公の名前変更が可能なものが多く、よっぽどキャラ立ちしているもの(FFシリーズ、テイルズなど)以外は全部自分の名前でやってました。幻想水滸伝の坊ちゃんも2主も女の名前です。ごめんね。

で、乙女ゲーの話に戻る。
上のツイートについての私の単純な疑問としては「昔ってそんなヒロインの個性薄い乙女ゲー多かったっけ?」です。
恐らく原点といっていい(この辺り、資料として調べてないので不明確ですが)ネオロマンスにしても、アンジェリークは最初から顔も名前もあるしそもそもヒロインの名前がゲームタイトルやんけ!って思いますし、遥かもコルダも名前変換できるようになってはいますが、一応デフォ名はあり顔も姿も年齢もしっかり決まっていました。
その後にぼちぼちと出てきた女性向け恋愛シミュレーションといえば、時代がばらばらかもしれないけど、きまぐれストロベリーカフェとか…召しませ浪漫茶房とか…フルハウスキスとか…マイネリーベとか…幕末恋華新撰組とか…蜜×蜜ドロップスも夢小説みたいなゲーム出してましたね。プレイはしていませんが。
ここいらのゲームも記憶を辿る限り顔は普通に出てたし、デフォ名もあったんじゃないかなと思います。ないよ!って知ってる方いらっしゃったら教えてください。

その中で綺羅星のごとく舞い降りてきたのがときめきメモリアルGS。
名前は音声合成の力を借りて自由自在に呼んでもらえ、姿形は不定形、ステータスしだいで自分の未来も思うがまま…自己投影派にとってはこれ以上ないゲームだったんだろうなぁ、と今でも思います。
でもやっぱり大多数はヒロインの姿名前ありのゲームがほとんどで、自己投影派が追いやられる「前」のヒロインの個性薄目なゲームが見当たらない…なぜや…。

で、ふと思ったのが、過去から現在にかけて変化してきたのはヒロインの個性の濃淡ではなく、ゲームのプレイスタイルそのものなんじゃないの?という仮定です。

今って個人的な観測になるけど、ルビーパーティを筆頭にオトメイトとリジェットとブロッコリーが代表格で、あとはぼちぼちPCゲーム上がりが頑張ってるぐらいな気がする。
じゃあルビパに続くこの三つのメーカーってどんなゲーム作ってるの?って言われたら、私「主にサウンドノベル恋愛ゲームですね」って答える。それがかつてのネオロマとの大きな違いだと思う。

アンジェリーク、遥か、コルダってのは、ある大きな目的が存在して、いくつかの区切られた期限内に目標を達成し、それを積み重ねて最終的にエンディングに至るアドベンチャーシミュレーションゲームとしての側面が強い。
つまり「○○日までにここの怨霊を倒せ」って命令が下されたら、あとの行動は私たちの自由にしていいわけだ。
ゲームってのは私の中でそういうもので「ボスを倒す」「強い武器を手に入れる」そういうおつかい命令を必須として、それ以外の寄り道を好き勝手しても構わないものだった。実際にサブシナリオが豊富なゲームを好んでやってたし(TOE、LOM、ジルオールとか)、「自分がその世界の中を自由に動き回れる」「ゲーム主人公としての役割を演じる」っていうロールプレイが可能だった。
プレイ記録が物語になる、もちろんシナリオの大筋は変わらなくても、ラスボスのパーティメンバーはヒトによって違うだろう。最終決戦前の夜、語り合う仲間は「私」が選んだ大切な相手だ。「私」の意志がゲームシナリオに反映される。

じゃあテキストゲーはどうか、っていうと、反映度は著しく落ちる、と私は感じている。
昨今の乙女ゲーは割合としてフルボイスサウンドノベル形式のものがめちゃくちゃ多いように思う。台詞があって声優が演じて、私たちはそれを読んで、好きなキャラが好みそうな選択肢を手元で選んでいくスタイルだ。
それはまるで分岐していく樹形図を歩かされているようなもので、人によってその歩く道は変わらない。
「○○日までに事件を解決しろ」って言われても時間の進みや捜査状況の進展は一定で、オートモードにしておけばキャラが勝手に問題を解決して、まぁ大事なところはヒロインに任せてくれるかもしれないけど、私たちがすることっていえばオートモードボタンを押すか○ボタンを連打することだけだ。

私たちはなにをやってるのか?という迷いが生まれる。

ゲームが楽しい理由の一つに「自分も主人公になれる」があると思う。
それは世界を冒険して、世界の秘密に迫り、危機を救ってヒーローになれる特権だ。

フォロワーの一人が「物語のキャラクターに自己投影・感情移入するスキルは誰もが持ちうるものではない」と言っていたのが印象に残っている。

ゲームはその主人公への自己投影を容易にしてくれる。
自分の名前をつけて、キャラに呼んでもらって認証してもらって、コントローラーを通じた操作で自分の意志を物語世界に反映し、介入する。下手だとバッドエンドになるかもしれない、でも頑張ってレベル上げをして強くなったり、何回も敵に負けながら相手のパターンを覚えて避けて攻撃を加えて、そういった自分の経験や知識がゲーム内の結末にも影響を及ぼす。そこにカタルシスがある。


でもサウンドノベルにはそれが乏しい。ないとは言わないけど、経験としてかなり少ないと思う。
サウンドノベルという読み物であることを生かしたゲームもいくつかやってきたけど、それでもかまいたちの夜なんかは本職の推理作家を引っ張ってきたし、犯人の名前を直接入力もさせてくれたし、選択肢の違いによってかなりの分岐が存在した。2の陰陽編は泣きながらやった。音楽の力も相まってマジで怖かったのだ。
ただ、そこまで引き込まれたのは恐らくその作家の筆力・物語構築力によるものであるし、その辺の(といっては言葉が悪いが)乙女ゲーのライターが真似できるものではないとも感じている。
だから私は最近多い「サウンドノベル型の乙女ゲー」を「物足りない」と思う。

自分の意志を反映させられるゲームにしては自由度が低く、サウンドノベルにしては物語にプレイヤーを引き込む力が弱い。

「乙女ゲーにゲームとしての完成度なんかいらん。個性薄目なヒロインにイコール自分として投影できて、感情移入して萌えられたらそれでいい」
気持ちとしてはわかる。
でも恐らく、今のサウンドノベル型乙女ゲーが隆盛を誇る現状を見るに、それはすさまじく難しい願望だと個人的には思う。
「ノベル」の主人公が無個性であり続けることはほぼ不可能だし、どうしてもある程度ヒロインの意志や言葉を使わないと物語が回らないからだ。

もちろん商業小説の中には主人公=語り手として限りなく個性を薄めた上で愛の物語を描き切ったものもあるし(舞城王太郎を読もう!)、プレイヤー自身が個性なき観測者としてゲーム内に干渉できるものもあったけど、乙女ゲーに望んでるのはそういうのじゃないでしょ?って感じがする。

あと個性にも性格・口調としての個性なのか、それとも立場や能力的な個性をいうのか、それも自分の中でちゃんと分離しておかないと混同してしまうのでは、と思うので、自分が望むヒロインの個性の方向性はちゃんと考えておいた方がいい。

 

自己投影派の人たちの間で囚われのパルマが救いになってる雰囲気を感じる。
あれがヒロインを無個性たらしめられるのは、「ヒロインの行動をプレイヤーに委任」することで、彼女から意志を奪い去っているからだ。自分からハルト氏にメッセージ送ったりプレゼント贈ったりの、相手からの選択肢に応えるだけじゃない能動的なプレイが可能なのも大きい。


「プレイヤーが自己投影・感情移入できるような器としてのヒロイン」を作るためには、彼女の中身を空っぽにしておかなくてはならず、行動や感情をプレイヤー側に明け渡す必要がある。
で、そういったゲーム作りってのは、今の乙女ゲーラインナップを見る限りまぁ難しいんじゃないかなぁ、と思う次第です。

書きながら考えたからめちゃくちゃだ。
あと私はソシャゲやらないので、あんスタとかFGOとか夢100における主人公がどんな感じなのかは全くわからないので、その辺の補完とか助言があれば助かります。