絶対階級学園 感想

絶対階級学園、コンプしました!!!!!

システム面
1 選択肢までのスキップが快適なので周回プレイが楽
左スティックちょいだけで選択肢をいったりきたりできるのはめちゃくちゃ便利。それほど分岐が多いわけじゃないけど、やっぱりエンド回収の上ではそういう些細な手間が重なって苦痛になりがちなんだけど、絶対階級学園ではほとんど感じなかったな

2 章選択ができない
とはいえタイトル画面からシーン選択ができるモードに飛べるし、大切なイベントや甘いラブラブイベントは基本的にスチルがついてるからもう一回振り返ろうと思った時のわずらわしさは少ないと思う。

3 ボイスコレクション
ほかのゲームであまり見たことがないシステムだなぁと思ったので最初はあまり使ってなかったんだけど、リップ音コレクションとかレイさんの低音キムリョボイスとか集め始めると楽しくなってくるのが不思議。

4 攻略ご褒美ウォールペーパー
かわいい。


スチル数は多いとも少ないとも思わなかったけど、大事なイベントでは絶対に入るし、なにより絵がうまい(絵がうまい)と思う。

キススチル格差もないし。スチルで100点!

乙女ゲーとかってキャラデザの人と、ゲーム内スチルの原画・塗り担当が違うのか、設定画ではきれいなのに立ち絵やスチルになるとヘボ…になるものがそこそこあるんだけど、絶対階級学園は立ち絵もきれいでめちゃくちゃ満足。最高。イラスト集欲しいな…あるのかな…。

シナリオ
最初はヘンテコ校則学園ものかな~?って思って、まぁ学園ものあるあるシチュに加えて学園内身分差ロミオとジュリエット的な?とのんきに構えてたら石ころルートで出るわ出るわ不穏な単語と伏線。
これ薔薇ルートで学園に順応してたら、真相のことほとんど匂わせないつくりになってるんだよね…。
学生の正体についても本土にいる人間のクローン予備臓器(わたしを離さないで)かな?とか電子世界ヴァーチャルリアリティ内で管理されてるのか?とかいろいろ妄想してたんですが、そこまでとんでもない設定でもなく、ラストはまぁすっきり解決みたいな感じでSFというには弱いけど、キービジュやあらすじで想像される雰囲気とはかなりかわった真相ルートで大変満足できました。
しかし学園もの乙女ゲーで舞踏会シチュをこんな自然にねじこむなんて感服です。せみにゃん舞踏会シチュ大好き。事前の練習二人きりのダンスレッスン最高以外のなにものでもない。
ただ当日は誘われかけ…?にとどまって強制的に理事長なのもまぁ展開的には仕方ないのかね。ダンデビだと本番ダンススチルだった。でも練習での制服ダンススチルいいじゃん。

各キャラクターについて

1 鷹嶺陸
石ころルートが面白すぎてほかに言うことがない。
学園の王者に逆らって「お前面白いな」が発動したのにはめちゃくちゃ笑ってしまった。
反発反発喧嘩からの、ふとした弱みを見せてからの急接近、ほんとこの手のプライド高いポンコツマンにあるあるすぎる。チョロすぎるし。こらえてくれ。

薔薇ルート、ほかのキャラだと身分差がどうとか、薔薇になじめないヒロインの苦悩とかが大きく取り上げられるんだけど、陸とくっついての薔薇だとその辺の葛藤はないんだけど、浮かれた陸がヒロイン可愛さに横暴になっていくのがしんどい。
石ころやったあとだと陸の優しさが理解できるので、立場や愛で目を曇らせた男がどんどん狂っていく姿というのはつらいものがある。
ただ薔薇グッドエンドのヒロインはめちゃくちゃしたたかになるので、それは必見。誰だって女王の素質を持ってるんだよ。

2 鷺ノ宮レイ
き、キムリョ~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!
エルエルフ好きですか?低音キムリョボイスは好きですか!?好きならやりましょう。一見優男で穏やか系キムリョはまぁいいか~とか思ってたらすごい落とし穴があったぞ!
しかも薔薇ルート、だいたいどのキャラもこの先にあるのは暗黒…みたいな雰囲気で終わるのに、レイさんルートのヒロインだけは正気を保ってるのでまだ未来がある。そういうのも含めて、レイさんの運命力がめちゃくちゃ高いんですわ。
真相ルート解放制限があって、レイだけ誰かほかのキャラを一人でも攻略しないと進めないんだけど、それだけあって運命度がひときわ高い。
キービジュや出逢い方の衝撃の点で陸がメインなのかな?って思わせておいて、レイさんがメインヒーローで因縁の特異点で、って感じ。
「お前が初めて俺の名前を呼んでくれた」エルエルフ系男子、キムリョにやらすと一級品になる。好きにならざるを得ない。

3 加地壱波
柿…があんまりなのであんまり…って思ったんだけど、妹の真相が明らかになるあたりではちょっと泣いた。
ただ石ころ→真相ルートに進むと、友達の女子キャラとの和解が進むので、その点はとてもよかった。

4 七瀬十矢
前野、やばい。
レイさんが運命の男なら、ヒロインを最も幸せにできるのは七瀬くんなのでは?というポジション。男気にあふれている。「お前は俺が守る」を地で行く。ただしバッドエンドではそこそこ死ぬ。
最初から最後まで頼もしい。このゲームの男、よくメンタルをヘタらせるんだけど、七瀬くんに限ってはメンタルをグダらせて引きこもったりしない。強い。ちょっと気まずくなってすれ違うこともあるけどそれをバネにして救出イベントを起こしてクライマックスにもっていく。真相が明らかになりそうになってもグズらない。強い。
騎士様勇者様って感じ。
でもそれがこちらに牙を剥いたらどうなるのか?ってのが薔薇ルートで見れるのでそれも最高。愛憎入り混じる関係、一緒にいても傷つけあうし未来も見えない、薔薇とレジスタンスという相容れない立場でありながら愛し合ってしまう、そんなすさまじい関係が見れるのは七瀬十矢だけ!

5 五十嵐ハル
い、石川界人~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!石川界人~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!
えっめっちゃかわいくない?言葉の選び方がかわいい。好きとか愛してるとかじゃなくて「アンタがおばあちゃんになったら世話してあげる」とか「(人物画はそのモデルを愛してないと描けない、という会話を踏まえて)これからアンタは一生俺の絵のモデルになるんだから。ご愁傷様」とか、そういう、言葉の。ご愁傷様。最高。
ちょっと上から目線の告白も人間不信型クーデレ年下少年ボーイからだとご褒美ですわ。言葉選びがかわいいし、それを演じる石川界人の自然体な声が相まって、もうほんとうにこの小生意気な後輩が愛しく思えてくる。
もちろんそういう甘酸っぱいやり取りだけじゃなくて、ハルくんの抱えてる闇やトラウマにまっすぐまっすぐ立ち向かっていくヒロインの強さも観てほしい。
ハルくん、年下だし石ころ内でもいじめられっ子で、斜に構えてて素直じゃないしかといって逆らうほどの強さがないから諦めてるし、ダウナー寄りなんだけどヒロインと付き合ううちに、いろんなことにかかわろうとしてくれるし、真相解明のために自分から一緒に行くって言ってくれたのは本当にうれしいんだよな~。

石ころの(真相はわからないけど)「俺、あんたのこと気に入ってるし、ずっと一緒にいてあげてもいいよ」なハッピーラブリーエンドを迎えた後に薔薇ルート入ると精神的にきっつい……。
薔薇に昇格したヒロインがはやく薔薇になじみたいからってハルくんを付き人にしてしまうんだけど、そうした時点でもう対等な友達じゃないし、周りの雰囲気に流されるようにしてハルくんを召使扱いし始めるのが本当にしんどい。ついていけなくなって薔薇の人たちに馬鹿にされるって焦るヒロインも、そんなの向いてないからやめろって反発するハルくんの態度もしんどい。本当にしんどい二度とやりたくない。
ただ、攻略対象の年下少年ボーイに手をかまれて指を噛み千切られるか、あるいはこちらの爪が咥内をえぐるかの水面下での憎み合いを見れるのは絶対階級学園だけ!
あとなんなんだろう、バッドエンドなんだけど、ヒロインはよくハルくんを飼い殺しにするのでちょっとその辺が面白いですね。

 

 

 

スチームプリズン 七つの美徳 感想

全体の構成

攻略キャラは6人(2人×2ルート+1人+1人)いて、多少の攻略制限がある。

ただヒロインを取り巻く陰謀や黒幕についてはキャラによっては全く解決されないまま物語が終わったりする一方、全て解放されての大団円に近い終わり方を迎えるキャラもいるので、その辺りの真相格差*1や運命力*2がかなり大きいので、本命キャラのルートであってもヒロインの問題が解決しなかったりして不満が残ったりするかもしれない。

推奨攻略順は

エルトクリード→ウルリク→アダージュ→イネス→(攻略制限)→ユネ→フィン→グランドエンド

で真相格差もだいたいこの順番。(フィン、グランドエンドは別にして)

エルトクリードのエンディングではベストエンドでもヒロイン周りの陰謀や上界下界の謎はほぼ明かされないので注意が必要。

エンド数はエルト・ウルリク・アダージュ・イネスは各自5つ、ユネが6つ、フィンはVita版で追加されたキャラなので3つと少な目。

割り振りはグッドエンド1つ、好感度高バッド、好感度中バッド、好感度低バッドと、2人セット√におけるもう片方のキャラと生きていくエンド(その場合の本命キャラは死んでたりする)になっている。

必ずしもそうじゃない場合もあるけどだいたいこんな感じ。

それに加えて各ルートで落ちることになるバッドエンドが3つと大団円エンドが1つ。

スチル数はユネまでが12、フィンが8。ストーリースチルと思われる特定の相手がいないスチルが20。

 

システム

一般的なノベルゲーで、好感度の上下もすぐに表示されるので攻略しやすい。スキップ速度はかなり快適だと思う。

クイックセーブ、クイックロードはスタートボタンとセレクトボタンのひと手間で可能。

特にクイックロードはバックログの台詞再生画面(わかる?)からもさっと戻れるので、かなりプレイしやすい。

章立てになってないので章ジャンプも選択肢ジャンプもできないけど、台詞スキップがかなり早いので周回も苦ではなかった。

スチル&立ち絵

  • スチル

ちょいちょい骨格が変な絵がある気がする。私自身絵心がないので正確な判断はできないけど、人によっては微妙なレベルだと思う。

  • 立ち絵

エピローグでの話になるけど、もうその役職についてないのにその衣装を着てて誤魔化すみたいな台詞が挟まれるのが不満。

その立ち絵ぐらい用意してほしかった。

ヒロイン

正義感溢れる男勝りな警察官ってことでおしとやかでも大人しくもなく、トラブルに自分からつっこんでいって納得できなければ「そこは逆らったらあかんやろ」って場面でも堂々と不正をただそうとするので、振る舞いや口調に慣れないとヒロインについていけなくて挫折するんじゃないかな…。

ただヒロインの信念や正義、極端な鈍感設定(ヒロインの出身社会は恋愛禁止法があり恋愛に絡む感情は罪とされてる)にもしっかり裏付けがあるため、ヒロインのキルス・ティステラを一人のキャラとして好きになれたら楽しめる。

いい意味でまったく恋愛脳じゃないので、恋の芽生えと気づきにモダモダさせられるのが好きならとてもオススメ。

おまけ要素

クリアしたキャラはグッドエンドのアフターストーリーが用意されてて、その後のフォローも完璧。キャラ視点、ヒロイン視点の両方からお楽しみいただけます。

プロフィール画面では攻略対象同士がお互いにどう思ってるかの一言コメントが用意されてて「給料上げてほしい」「実直な男」から「あんまりよく知らない」「誰?」みたいなあって意味があるのかないのかわからない評価が見れてちょっと面白かった。

あと物語本編の過去話や、バッドエンドのアフターストーリーなんかも収録されてるのも憎い。それからおなじみキャストコメント、馴染みのない声優さんのもあるので新鮮だった。

ニューゲーム選択時とか、おまけ要素をぱらぱら見てるとき、キャラが反応してくれるのが嬉しい。アルバム選択で「一緒に見る?おいで」BGM視聴画面で「いい曲だね」みたいな感じ。タイトルコールに脇役が口を出すのもご愛嬌。

↓以下、キャラ個別感想↓

*1:ヒロインや物語の根幹に関わる問題に触れたり解決したりできるかどうか。恋愛糖度や運命度とはまた違うため、ラブラブエンディングであってももやもやが残る原因になったりする

*2:うんめいぢから、あるいは運命度。過去に出会っていたなど物語開始要素に関わっていたり、二人の恋が実ることで世界にもたらすものが莫大なものであったりすると高い、と判断する。耳を澄ませば<もののけ姫

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サウンドノベル型乙女ゲーのヒロインの話

書きながら考えたのでまとまってないですよ

口調もだんだん砕けていきますよ

 

 

 

ゲームがロールプレイ・自己投影・主人公との同一化を容易くする媒体であることには完全に同意なんですよ。乙女ゲーに限らず。

 

ただ最近の乙女ゲーはそれが難しいけどなぜだろう?

みたいな話をしてます。ヒロインの個性じゃなくて、ゲームの仕組みというか「サウンドノベル型の乙女ゲー」が増えてきたせいじゃないの?という仮説の肉付けです。

 

私の乙女ゲーロードの始まりは友達に教えられてプレイした遥かなる時空の中で(無印・PS版)で、当たり前のように自分の本名をプレイして、最初のEDは確か泰明さんをこっちに連れて帰ってくるEDだったように思います。
今でこそ「住所不定無職で世間の常識も怪しい顔だけ綺麗なCV石田彰の男」を女子高生が連れて帰ってくるヤバさにはわわ;とはなるものの、当時は私も十代そこそこの小娘であったわけで、小娘なりに片思いしてる相手はまた別に、異次元存在との恋愛に足を踏み込む大きなきっかけになったわけです。

ここで簡単にゲーム歴をば。
私には少し年の離れた姉がいて、姉も私が知らない間に女王候補だったらしく、なぜかそこでシンクロニシティが発見されたのですがまぁそれは余談なのでいいです。
世代的にはPS無印後期のゲームからプレイし始めた層で、サモンナイト幻想水滸伝FF9聖剣伝説LOMヴァルキリープロファイル、といった名作をごりごりやってたプレイヤーでした。
主人公の名前が固定なゲームももちろん多くプレイしてきましたが、私がやったゲームは主人公の名前変更が可能なものが多く、よっぽどキャラ立ちしているもの(FFシリーズ、テイルズなど)以外は全部自分の名前でやってました。幻想水滸伝の坊ちゃんも2主も女の名前です。ごめんね。

で、乙女ゲーの話に戻る。
上のツイートについての私の単純な疑問としては「昔ってそんなヒロインの個性薄い乙女ゲー多かったっけ?」です。
恐らく原点といっていい(この辺り、資料として調べてないので不明確ですが)ネオロマンスにしても、アンジェリークは最初から顔も名前もあるしそもそもヒロインの名前がゲームタイトルやんけ!って思いますし、遥かもコルダも名前変換できるようになってはいますが、一応デフォ名はあり顔も姿も年齢もしっかり決まっていました。
その後にぼちぼちと出てきた女性向け恋愛シミュレーションといえば、時代がばらばらかもしれないけど、きまぐれストロベリーカフェとか…召しませ浪漫茶房とか…フルハウスキスとか…マイネリーベとか…幕末恋華新撰組とか…蜜×蜜ドロップスも夢小説みたいなゲーム出してましたね。プレイはしていませんが。
ここいらのゲームも記憶を辿る限り顔は普通に出てたし、デフォ名もあったんじゃないかなと思います。ないよ!って知ってる方いらっしゃったら教えてください。

その中で綺羅星のごとく舞い降りてきたのがときめきメモリアルGS。
名前は音声合成の力を借りて自由自在に呼んでもらえ、姿形は不定形、ステータスしだいで自分の未来も思うがまま…自己投影派にとってはこれ以上ないゲームだったんだろうなぁ、と今でも思います。
でもやっぱり大多数はヒロインの姿名前ありのゲームがほとんどで、自己投影派が追いやられる「前」のヒロインの個性薄目なゲームが見当たらない…なぜや…。

で、ふと思ったのが、過去から現在にかけて変化してきたのはヒロインの個性の濃淡ではなく、ゲームのプレイスタイルそのものなんじゃないの?という仮定です。

今って個人的な観測になるけど、ルビーパーティを筆頭にオトメイトとリジェットとブロッコリーが代表格で、あとはぼちぼちPCゲーム上がりが頑張ってるぐらいな気がする。
じゃあルビパに続くこの三つのメーカーってどんなゲーム作ってるの?って言われたら、私「主にサウンドノベル恋愛ゲームですね」って答える。それがかつてのネオロマとの大きな違いだと思う。

アンジェリーク、遥か、コルダってのは、ある大きな目的が存在して、いくつかの区切られた期限内に目標を達成し、それを積み重ねて最終的にエンディングに至るアドベンチャーシミュレーションゲームとしての側面が強い。
つまり「○○日までにここの怨霊を倒せ」って命令が下されたら、あとの行動は私たちの自由にしていいわけだ。
ゲームってのは私の中でそういうもので「ボスを倒す」「強い武器を手に入れる」そういうおつかい命令を必須として、それ以外の寄り道を好き勝手しても構わないものだった。実際にサブシナリオが豊富なゲームを好んでやってたし(TOE、LOM、ジルオールとか)、「自分がその世界の中を自由に動き回れる」「ゲーム主人公としての役割を演じる」っていうロールプレイが可能だった。
プレイ記録が物語になる、もちろんシナリオの大筋は変わらなくても、ラスボスのパーティメンバーはヒトによって違うだろう。最終決戦前の夜、語り合う仲間は「私」が選んだ大切な相手だ。「私」の意志がゲームシナリオに反映される。

じゃあテキストゲーはどうか、っていうと、反映度は著しく落ちる、と私は感じている。
昨今の乙女ゲーは割合としてフルボイスサウンドノベル形式のものがめちゃくちゃ多いように思う。台詞があって声優が演じて、私たちはそれを読んで、好きなキャラが好みそうな選択肢を手元で選んでいくスタイルだ。
それはまるで分岐していく樹形図を歩かされているようなもので、人によってその歩く道は変わらない。
「○○日までに事件を解決しろ」って言われても時間の進みや捜査状況の進展は一定で、オートモードにしておけばキャラが勝手に問題を解決して、まぁ大事なところはヒロインに任せてくれるかもしれないけど、私たちがすることっていえばオートモードボタンを押すか○ボタンを連打することだけだ。

私たちはなにをやってるのか?という迷いが生まれる。

ゲームが楽しい理由の一つに「自分も主人公になれる」があると思う。
それは世界を冒険して、世界の秘密に迫り、危機を救ってヒーローになれる特権だ。

フォロワーの一人が「物語のキャラクターに自己投影・感情移入するスキルは誰もが持ちうるものではない」と言っていたのが印象に残っている。

ゲームはその主人公への自己投影を容易にしてくれる。
自分の名前をつけて、キャラに呼んでもらって認証してもらって、コントローラーを通じた操作で自分の意志を物語世界に反映し、介入する。下手だとバッドエンドになるかもしれない、でも頑張ってレベル上げをして強くなったり、何回も敵に負けながら相手のパターンを覚えて避けて攻撃を加えて、そういった自分の経験や知識がゲーム内の結末にも影響を及ぼす。そこにカタルシスがある。


でもサウンドノベルにはそれが乏しい。ないとは言わないけど、経験としてかなり少ないと思う。
サウンドノベルという読み物であることを生かしたゲームもいくつかやってきたけど、それでもかまいたちの夜なんかは本職の推理作家を引っ張ってきたし、犯人の名前を直接入力もさせてくれたし、選択肢の違いによってかなりの分岐が存在した。2の陰陽編は泣きながらやった。音楽の力も相まってマジで怖かったのだ。
ただ、そこまで引き込まれたのは恐らくその作家の筆力・物語構築力によるものであるし、その辺の(といっては言葉が悪いが)乙女ゲーのライターが真似できるものではないとも感じている。
だから私は最近多い「サウンドノベル型の乙女ゲー」を「物足りない」と思う。

自分の意志を反映させられるゲームにしては自由度が低く、サウンドノベルにしては物語にプレイヤーを引き込む力が弱い。

「乙女ゲーにゲームとしての完成度なんかいらん。個性薄目なヒロインにイコール自分として投影できて、感情移入して萌えられたらそれでいい」
気持ちとしてはわかる。
でも恐らく、今のサウンドノベル型乙女ゲーが隆盛を誇る現状を見るに、それはすさまじく難しい願望だと個人的には思う。
「ノベル」の主人公が無個性であり続けることはほぼ不可能だし、どうしてもある程度ヒロインの意志や言葉を使わないと物語が回らないからだ。

もちろん商業小説の中には主人公=語り手として限りなく個性を薄めた上で愛の物語を描き切ったものもあるし(舞城王太郎を読もう!)、プレイヤー自身が個性なき観測者としてゲーム内に干渉できるものもあったけど、乙女ゲーに望んでるのはそういうのじゃないでしょ?って感じがする。

あと個性にも性格・口調としての個性なのか、それとも立場や能力的な個性をいうのか、それも自分の中でちゃんと分離しておかないと混同してしまうのでは、と思うので、自分が望むヒロインの個性の方向性はちゃんと考えておいた方がいい。

 

自己投影派の人たちの間で囚われのパルマが救いになってる雰囲気を感じる。
あれがヒロインを無個性たらしめられるのは、「ヒロインの行動をプレイヤーに委任」することで、彼女から意志を奪い去っているからだ。自分からハルト氏にメッセージ送ったりプレゼント贈ったりの、相手からの選択肢に応えるだけじゃない能動的なプレイが可能なのも大きい。


「プレイヤーが自己投影・感情移入できるような器としてのヒロイン」を作るためには、彼女の中身を空っぽにしておかなくてはならず、行動や感情をプレイヤー側に明け渡す必要がある。
で、そういったゲーム作りってのは、今の乙女ゲーラインナップを見る限りまぁ難しいんじゃないかなぁ、と思う次第です。

書きながら考えたからめちゃくちゃだ。
あと私はソシャゲやらないので、あんスタとかFGOとか夢100における主人公がどんな感じなのかは全くわからないので、その辺の補完とか助言があれば助かります。

 

 

夢と腐のあわいと「乙女ゲーにホモ混ぜんな」について

11・25簡単に追記

 

腐と夢の共存共栄可能性についての話です。

 

「夢と腐は混ぜるな危険」について色々な意見があると思うけどその一つに「乙女ゲーにホモ入れるな」という疑似概念が存在する。

「乙女ゲーにホモ入れるな」とは文字通りそのままなんだけど、主人公ヒロインと攻略対象との恋愛描写に主題を置いたゲームの中で、攻略対象同士の方が仲良くなっちゃってヒロインないがしろだとか、妙なペア推しとか、とにかく「わたしときみ」ではなく「きみたち」にフォーカスされたときに乙女ゲーユーザーから飛び出す苦言がこれだ。

しかし乙女ゲーにおけるニアホモ(あえてこの言葉を使うが悪意はないのでよろしく。BLに限りなく近い非性愛表現とでもしておこう)というのは必ずしも忌避されるべきものではない。商業的にも二次創作的にも、である。
某野菜の名前がついた乙女ゲー会社が作ったアイドル乙女ゲーしかりというかわかりやすく例を挙げると、あれは「キャラ二人が同室」「その上に一人先輩がつく」みたいにして、ヒロイン⇔攻略対象間の関係だけでなくキャラ同士の関係も描くことで乙女ゲー層のヒロイン=わたし派、ヒロイン=オリキャラ≠わたし派だけではなくBL二次創作層の取り込みも成功した一例であると思われる。*1

攻略対象のペア推しというのはもちろんこれに始まったやり方ではなく、かつて乙女ゲーが乙女ゲーではなくネオロマンスと呼ばれいていたころにも見られ、対立する守護星さまたち、神子を守る八葉など、なんとな~く対・ペアにされる男たちというのは散見されたのである。
なにが言いたいのかというと、恋愛の主体が男と女であったとしても、男キャラクター(攻略対象)同士の関わりというのは物語のアクセント・スパイスになりうるわけだ。(もちろん力の入れどころが逆転すると「乙女ゲーにホモいれんな」「BLゲーでやれ」になる危険性もはらむ

ここで「ホモが嫌いな女子なんていません!」と極端な意見を述べるつもりはないが、ホモは苦手であっても男同士の友情・信頼・ライバル心などの濃い感情を伴うぶつかり合いを好む女子は少なくないことがわかる。(逆に原作描写におけるそのような関係を神聖視するあまり「なんでもかんでも恋愛にすんな」と言う場合もある

性愛を伴わないためBLではない、しかし誰よりも強い魂の絆がある。というか男2人ならんでたらなんでもBLである。これってめっちゃホモじゃん!実質BL!腐女子は気軽にそういうことを言う。

ここで本題に戻そう。
初めに言っておくが今回の記事の中では腐はキャラクター間で完結する恋愛二次創作、夢は名前変換可能なオリジナルキャラを投入する二次創作上の「手法」として扱う。
オリジナルBL、ドリーム小説についてはこの場ではとりあえず忘れていてほしい。

つまり、だ。男女の恋愛において男同士の関係はスパイスになりうるのである。
「腐と夢は混ぜるな危険」に対する反論として以下の記事

腐女子こそ夢小説を書くべき論 - 模索中)では「女子BL」「男夢主によるボーイズラブドリーム」が提示された。これは腐作品に夢の特性を用いて踏み込んだ作品群であり、前者はBL世界の観測者としての夢主を、後者はBL世界の登場人物としての夢主を用い、その原作作品の広がりの可能性を示していると考えられる。

腐カプの片方を見つめている一人の女子クラスメイト、同級生の男に想いを寄せる兄の苦しい恋を見守っている妹、部活に命を賭ける彼の勉強を見てやっている男友達の秘めた恋、情報収集のため警察組織のキャラと寝る裏組織の男。「原作に姿を現したことはないし名前も与えられてないけれど、いるかもしれないこんな人」の可能性だ。
そういった「if」でもって原作では描かれていない、けれど存在するかもしれない場所に光を当てているのだ。原作に夢の光を当てて、腐世界を浮かび上がらせる。そんなイメージだ。

 

そこで逆の概念を考えてみる。
「夢作品に腐の特性を用いて踏み込んだ作品群」
「原作に腐の光を当てて夢世界を浮かび上がらせる」
諸説あるだろうし人によって意見は分かれるかもしれないが(予防線だよ)、私はこれを「三角関係夢」としてみたい。

 

腐とはなにか?

ざっくりとした質問だが、夢に対して反発している意見を見る限り「二次BLには異物を入れない」とあるようなので「原作に描写されている部分から想像を深め、キャラクター間の強い感情(恋愛に限らないが)にスポットを当てる」としておこう。

夢小説が原作という大きな海に夢主という飛び石を作って世界を広げるのだとすると、腐創作はその海の中に沈んでいく行為だと感覚的な説明をしてみる。世界拡張・解釈の方向性の違いだ。

 

ここで提示する「三角関係夢」は原作キャラ2人に対する夢主1人の構成だ。男女の区別はないものとする。

もっとも想像しやすいのが男2人に挟まれた女子夢主だと思う。前置きで述べた乙女ゲーにホモ混ぜんな状態にありがちな三人組である。


例えば原作では親友でありライバルでもある対照的な二人がいるとする。

誰がいいかな。黒バスは読んだことがあるので黒バスから引っ張って来てみる。
黒子くんと火神くんがいる。

二人は物語の中心にあるコンビで、バスケは好きだけど体格に恵まれず不遇な目に遭い苦渋も舐めた黒子くんと、バスケが好きで体格にも恵まれたけど鬱屈を抱えず素直に大らかに育ったバスケの申し子みたいな火神くんだ。
この2人がなんやかんやで大会で勝ち進んでいって、自分たちが強すぎるあまりにちょっと歪んだ中学青春時代を送ることになったキセキの世代たちを倒し因縁を乗り越え日本一に輝くまでのストーリーが黒子のバスケだ。

キャラ認識と解釈に納得がいかない方も多いだろうがまぁ私はざっくりこんな風に読んでいる。
二人の出会いはこの作品の中で運命的であり、黒子くんが火神くんと出会ったからこそキセキの世代らが救われ、また火神くん当人も一人ではたどり着けなかったステージにのぼったのだと思う。

運命的なコンビ。対照的なコンビ。まあそれはそれは腐人気もあった。
当然2人の関係についての腐作品、その書いた人が思う「この2人はこんな2人」というプレゼンみたいなものがどっちゃりどっちゃりピクシブに生まれた。

原作時間軸の隙間で恋をしてキスをして、いやキスしなくてもライバルのままで傍にいたいといじらしく想いを殺す黒子くんがいれば高校卒業後アメリカに飛んだ火神くんを日本で待つ国語教師黒子テツヤもいたし、凄まじいバリエーションの2人がいたと思う。
そういう妄想の種というのは基本的には原作の中にあるといっていい。ちょっとしたやり取り、キャラクターブックに描かれた将来の夢、得意な強化、雑誌のインタビューで述べられた小さい情報。

 

じゃあその2人が好きだけど性愛関係にしたくない人って何を読めばいいんだろう?
私自身は腐作品や一次BLについて全く読まない訳ではないけれど、恋愛関係にない方が萌えることが多い。

火神くんと黒子くんにしても部室でセックスするような間柄よりは同じ一年生としてバスケ部員として友達関係にあり、その中のひとコマを切り取ったような二次創作が好きだ。
でもそういうのめちゃくちゃ探しにくい。

あるんだろうけど検索の仕方がわからないぐらい探しにくい。

こういう経験は一度や二度ではなく、某漫画の某兄弟が可愛いな~って思って二次創作を探しにいったとき「○○兄弟」とかでざっくり検索したら腐作品ばっかりで逃げ帰ってきたことがある。
でも仲良くしてる2人が見たい!でも恋愛じゃないんだその2人は双方向に性愛感情を抱くボーイズラブではないんだ!

ってときに、三角関係夢というのはひどく読みたいものに近いことに気付く。


黒子くんと火神くんの話に戻る。
性愛じゃない2人の話が見たい。

そんなときは2人の間にぽいっと夢主を入れてやってみるのだ。夢主の肉付けは完全に自由だ。作中の存在濃度も自由だ。生かしていても殺してもいい、もっといえば登場させなくてもいい。話のタネにするぐらいの濃度でもいい。もちろん夢小説なので2人の間で綱引きされて私のために争わないでと泣いてもいいのだけれど、とりあえず一例として限りなく濃度を薄めてみる。

まず最初のシーンでこうしておく。

黒子くんが火神くんに「恋人ができたけど、できたらできたでどうしたらいいのかわからないですね」とあの二次創作で幾度となく見てきたハンバーガーチェーン店でぼやいてもらう。火神くんはまずびっくりするだろうし、お前に恋人?と問い詰めてもいい。2人の間に会話が生まれる。色んなことを話す。恋人に対してどういう態度でいるべきか、メールの頻度デートのタイミング、キスはまだか。まだですって答える黒子くんにアメリカナイズされた火神くんは早くしろよというかもしれないし、案外初心で逆にもうキスしましたってしれっと答えられて慌てるかもしれない。
原作世界に夢主という存在を投げ入れることで、2人の生き方や価値観を対比させられる、会話を生み出させる、デートの練習とかいって2人で出かけたりさせられる。でもそこに双方向の性愛はなく、描かれるのは初めて恋人が出来た黒子くんと、彼に友人として付き合いたまにアドバイスしたりデートの日にはるか後方から先輩たちとそれを見守るかもしれない火神くんだ。彼らの友情は描かれ、しかし性愛にはならない。完璧だった。

もちろんもっと殺伐としててもいい。

火神くんの可愛い彼女(可愛くなくてもよい)に黒子くんが横恋慕してしまってもいい。体格こそ恵まれなかったけどバスケを愛する黒子くんの前には可愛い彼女(可愛くなくてもよい)を連れた火神くんがいる。火神くんは何でも持っている。バスケの神様に愛されて、恋の神様にも愛されて。ずるい。妬ましい。コンビとして和気あいあいと練習をしながらも、ふと胸によぎる黒い感情。そういうのも可能だ。

ちなみに私はキャラ2人に取り合われるいわゆるバーサス夢も、キャラA→夢主→キャラBの一方通行夢も書いたことがある。

バーサス夢なんて夢主が出てこないシーンはキャラ2人の会話ばかりになるのだが、そのキャラ2人が腐的な意味でなくコンビとして好きだったので書いててとても楽しかったのを覚えている。

一方通行夢もキャラAは夢主を通してキャラBを見ているようなもので「実質BL」みたいな感じだった。


実質BL」これなのだ。
強い感情をぶつけ合う男同士に対してそういうこと言うじゃん。実質BL。
夢主は二次創作においてそれを加速する触媒ともなりうる。
黒子くんは余命短い幼馴染の弱る姿を見たくなくてお見舞いに行けないけど火神くんは手遅れにならないうちに顔を見てやれと黒子くんを叱るし、叱られた黒子くんは失われる幼馴染にこれ以上心を寄せたくないし、彼女の死を実感したくないと火神くんに怒鳴りつけるかもしれないしお互いの胸倉を掴み睨み合うかもしれない。

論点になっているのは入院してる幼馴染だ。でも「黒子くんと火神くんが激しく言い争いとして感情をぶつけ合っている」構造的にはBLみたいなもので、でも性愛がないのでBLじゃない。私はこういうのが見たい。

 

乙女ゲーの話に戻ろう。
攻略対象とヒロインの双方向感情は乙女ゲーである限り恋愛以外に逃れられることは少ない。恋愛にならないこと≒バッドエンドな世界だからだ。

なので攻略対象とヒロインは全力で恋愛をする。恋愛に繋がらないイベントは徹底的に削っていったりもする。キャラ同士でペラペラ喋ってヒロインが空気だと、プレイヤーが寂しい思いをしたりする。

でも好きになったキャラクターについては恋愛以外の表情を見てみたい。

男同士でバカな会話をしてるところも、女には見せない戦いのときの獰猛な表情も、いろいろ見てみたい。ヒロインには全てを見せなくていいし、見せない部分にキャラ本人の本質と魅力が隠れている。(攻略対象じゃないときの方が輝く現象についてもこれである程度説明できる。恋愛することでキャラ崩れが起きるのだ


なのでヒロインに見せない一面を誰に見せるのかというと、同じ攻略対象だ。たまにそのためのサブキャラが配置されていたりもする。ファンディスクで攻略対象になる。嬉しい。閑話休題
キャラクターの対ヒロインペルソナと、対他キャラペルソナの描写のバランスがいいと、「普段こういうキャラでこういう評価だけれど恋愛となるとこう変わる」が丁寧に描けてキャラクターに深みが出る。私が好きな乙女ゲーはこれが上手くて、恋愛として萌えるときめくキュンキュンするのもあるんだけれど「キャラクターに惚れる」現象が起きるのはバランスがいいときだけだ。
それが実質BLにまで行くとヒロインどこいったホモ混ぜんな、となるがそれはキャラとヒロインの恋愛に主題を置いた「乙女ゲー」と銘打っているからに過ぎず、キャラクター同士の関わりというのはそのキャラの魅力描写において必須といっていい。

「夢小説はどんなキャラにもだだ甘な台詞吐かせて恋愛させてワンパターン」みたいな話も聞く。
それに反論できるのがこの三角関係夢だ。
夢主という異物によって原作キャラ間の関係や価値観の差を際立たせたり、新しい反応を生みだしたりできる。物語の主題を原作キャラ2人に当てているので、この場合夢主はマクガフィン的に代替できる存在だったりするわけだ。

 

なんて呼べばいいかな。

実質BL小説。
難しいな。性別はBLに限らないんだけど。
でも「この2人のコンビが好きだけど性愛BLとして二次創作を読みたい訳じゃない」「夢主投入に抵抗感が薄い」人にはこの三角関係的な実質BL夢ってのはけっこう理想に近いものだった。
それだけの話です。

 

 

 

*1:この会社の他の乙女ゲー見てもペア推しなのがわかる。多分成功例として自社内で追従してるんだろう

オリキャラ夢主が自己投影夢主を駆逐する?

「夢に腐を引き入れると自己投影派が追いやられる」という嘆きを見つけた。


自己投影派が原初の「キャラ×自分」、自分を主体としての姿勢・創作形態だとすると、潜在的には自己投影派の方が多い気がするんだけどなぁ。
二次創作してない見る専の人とか、そもそもオタクですらないフツーの漫画読みの人って気軽に「どのキャラ好き?」みたいな話するじゃん。そこでまぁ○○くんが好きーとか言う話になることがあれば、誰か一人ってよりも話全体が気になる、とかに移る。

前の「腐女子こそ夢小説を書くべき」ってのはその辺の話もしてるはず。
「自分が主体としてキャラを好きでいる気持ちは誰もが持っているもの」だという夢A(前の記事を参照:キャラくんが好きだという目的としての夢)の話と、「誰でもない夢主というツールはBL創作とも相性がいい」という夢B(名前変換機能に着目した手段としての夢)の話が混在していたとも思う。私の定義に当てはめると。

乙女ゲーヒロインに個性もちが増えてきて感情移入なり自己投影しにくくなったってのは可哀想だと思うけど、でもそれってヒロイン受けの男女カプとして萌えてる人にとってもあんまり変わらない嘆きだと思う。このヒロイン気に入らんなんて声はどこにでもあるし…その嘆きは自己投影派に限らない…あなただけのものじゃない…

追いやられるとしたら夢小説の意味の広がりによる異民族(オリキャラ派・BL創作者)じゃなくて「自己投影は恥ずかしい萌え方」だという認識による書き手参入の減少なんじゃないかと思う。だからこそ「夢主は私自身じゃありません!」表明からのオリキャラ夢主が増えたんじゃない?多分オリキャラ夢主って言ってる人の中には割とイコール自分みたいな人もいたと思う。でも「キャラ×自分は恥ずかしい」という価値観というか、その考え方自体が自分なりの萌え方・キャラの愛し方への自信をその人から奪ったのでは…?

だから腐こそ夢を書こう論の人も「自分主体のキャラへの愛を表現したり、世界に参加したいと思う感情は普遍的にあり、なんら恥ずかしいものではない」という啓蒙をしようとしてるんだろう。間違ってたらごめんね

 

目的としての夢、手段としての夢


車好きにもいろいろいるよねって話。

 

夢書きの区分考察やスタンス分類は色んな人がしてるみたいで、その図解やらを何回も見てきたけどだいたい「自己投影派」か「オリキャラ派」に分けられてる感じがする。
でも私はずっとこの大別に納得がいかなくて、なぜかというと私自身がその分類のどっちにいるかが全く分からなかったから。

キャラくんを好きだという主体は「わたし」だし原作を楽しんでるときはキャラくんに幸せになってほしいと「わたし」が思うし、一度めちゃくちゃ好きになった某キャラくんが過去にある女性キャラと巡り逢い運命を果たしただけならまだしもその彼女と悲劇の別れをしてしまって彼の中で彼女が永遠の存在になったことで凄まじい失恋感情を抱いたことがある。(今でもそれはひきずるし、引きずる上に彼関連のカップリングがどれであっても苦手になってしまった(原作中でいくつかフラグが立ってる女性キャラはいるしその男女カプも人気があるっちゃあるんだけどどうしても無理だ
でもそのキャラくんで夢小説を書くときは夢主=わたし=必要な情報を削ぎ落したアバターではなく、彼の隣に立ち彼と共に歩むにふさわしい過去と実力と個性と美貌を兼ね備えさせてしまう。

失恋したのに夢書くの?幸せな?そりゃ彼は彼女を失って傷心なんだからせめて私の手元では新しい恋を見つけてあげたいじゃんエゴですよエゴ知ってる。

先述の「腐女子は夢小説を書くべき論」で広がった波紋を観察してたり書かれた方が拾ってくる反応を眺めていると、でもやっぱり自己投影派の人たちは「オリキャラ派とは相いれない」と発信している(全ての人がそうじゃないとは思うけど)。

 

ここで仮説を立てる。

生まれたばかりの「ドリーム小説」の「あなたの夢、叶えてしんぜよう」の「夢」は確かに「あなた=読み手」であり「夢」が「次元の壁を乗り越えてキャラくんと関係を持ちたい」だったのは確かなんだろうとは思う。かっこいい素敵な人がいたら恋したいしお喋りしたいし近づきたいって思うのは普遍的な感情だろうし。

 

つまり「ドリーム小説」には段階がある。
A「次元の壁を乗り越えてキャラくんと関わりを持ちたい」

B「名前変換を使って夢主の個性を一部剥奪することで次元の壁に穴をあける」

C「向こう側の次元に『夢主』が出現する」

 

夢Aは目的だ。願望であり欲求だ。もはや「萌え方」ではなく「生き方」とも言える。次元の違う世界にいるその人を「自分」を主体として追いかけている。

夢Bは手段だ。上記の願望を満たすためにかつての夢A女子が作り上げた魔法の力。名前変換機能がそれにあたる。

夢Cが結果だ。夢B女子が魔法を使って表現した創作物だ。

 

そしてそれぞれ分割した夢’について「わたしの夢はこれだ」という夢女子がいる。

夢Aを重視する夢女子が恐らく自己投影派と呼ばれる人たちであるのだろうと思う。「わたしがそのキャラを好き」という気持ちを核にしている。

ほんらい夢小説に緻密な物語なんてものは一切要らない。夢小説は物語という枠のかたちに従属してはならない。私は個人的にそう思い続けている。思えばこの想いを何よりも満たしてくれるのは、「テニス」の、とりわけ日常を切り取った夢小説なのかもしれない。初めて読んだ夢小説も、初めて書いた夢小説も、「テニス」のキャラクターのものだった。三つ子の魂百までとはこのことだろうか。屋上でサボタージュ、夕陽さしこむ放課後の教室、バスに揺られて海まで三十分。そんな時の止まったような永遠のシチュエーションのほかに、一体どんな筋書きが必要だというのだろう。君がそこにいる。その一瞬こそが「夢」なのだ。

夢小説とは何かを考える | ゆめこうさつぶ!

「夢は生き方だ」「アイデンティティだ」という呟きを見た。彼・彼女らにとってはキャラくんを好きでいることは当たり前のライフワークであり魂の在り方そのものだとしたら、「夢小説とはなにか」という方法論的な定義づけや論争などすべてが無意味なんだろう。

もはや『名前変換機能』が免罪符になっているんじゃないかというレベル

夢小説とは何かを考える | ゆめこうさつぶ!

つまり「名前以外の個性もりもりにしておいて読み手の自己投影を阻んでおきながら夢を名乗るなどおこがましい」みたいな感じ?そこまで語調は強くないんだろうけどそう思ってるんだろうし「自己投影とオリキャラは求めてるものが違うから分けろ」っていう提案もこの辺が元になってるんだろうか。

でも夢Aというのは最初に生まれた原動力だ。夢B女子や夢C女子がその感情を持っていないとは断言できない。たとえ一見「オリキャラかゎぃぃょ」派に見えたとしても、その根底にあるのは「キャラと関わりたい」「世界の中に参加したい」気持ちであるのは間違いないからだ。


夢Bは自分の書きたいもののために手段として名前変換機能という一面を選ぶことを指す。
原作キャラクターだけでは描けない物語・世界を向こうの世界から引っ張り出すために次元の壁に穴を開けた。キャラクターの新たな表情を引き出すために必要だと思えば個性も付ける、そんな人をよく見る。

夢Cは結果として生まれたもの=夢主重視の人で、オリキャラ派にかなり寄っている。夢主交流とかしてるのがこの層?


文章量に差があるのは夢C層と私自身交流が少ないのとまとまった文章でオリ主交流とかについて説明してくれる人があんまいなくて引用元がないから。(あったらごめんよ~


えーとつまり、単純な区分じゃなくて段階の話。
夢Bは夢Aを内包する(そのキャラが好きだという愛情が原動力)し、夢Cは夢Bを内包する(夢主は確かにその人の創作物であり次元の壁にあけた穴だから)、でも夢Aと夢Cが直結することはない(夢Aにとって夢主は限りなく人格や特徴を削ぎ落すべきものであり自分サイズの穴であるので)。

夢Aを追求している人と、悪く言うと夢Aを踏み台にして夢Bや夢Cに飛び出そうとしている人がいる。そんな感じがするけどBとかCには踏み台にしている意識はなくて、どちらかというと「私の夢A(愛)を見てくれ!」って気持ちの方向性が違うだけなんだろうと思う。
目的と手段としての夢の違い。

もう、反転してる。

夢小説とは何かを考える | ゆめこうさつぶ!

 

「車が好きな人」という概念があるとして、自分の車のメンテやカスタマイズに心血を注いでいる人と、車に乗ることが好きでドライブにブンブン行く人と、自分の車に乗って遠くに行くことが好きな人ぐらい違うし、その人たちを「車好き合コン」とかに集めても話の合わなさと「お前ほんとに車好きなの?」と喧嘩になるビジョンが浮かぶ。夢小説もこんな感じなのかも。だって自分の車大事にしてる人が「この前ドライブで何万キロ走ってめちゃくちゃ楽しかった!」とかいう話聞いたらちゃんとそれ手入れした!?って思うかもしれないし、ドライブ好きな人にとっては「車は車なんだから走らせてこそその本分を果たせるだろうに可哀想」って思うかもしれないし。あるいは私の車を見てください的に自己カスタム加えた奴をインスタとかで見せびらかしたい人もいるだろう。

 

 

私個人としては単純な平行区分よりも目的→手段→結果の段階的な分類の方がしっくりきているのでもう少し詰めて考えてみます。

 

 

 

http://makun0uch1.hatenablog.com/entry/2016/07/11/231155/

腐女子こそ夢小説を書くべき論

上の記事を読みました。夢女子です。

書きたいことは一番上に書け派だから書くけど「夢は原作破壊だからクソ」みたいに言ってるそこの二次BL腐女子~!!!
AくんとBくんがセックスするなんてどこにも書いてないし彼らのライバル感情や信頼関係をホモ性愛にするのは原作冒涜とキャラ崩壊じゃないんですか~~~!!???
「夢は特殊性癖だから一般人の目につかないところに行け」っていってる二次創作警察~~~!!!ユニバのウィザーディングオブハリーポッターホグワーツ生ごっこしてる一般人見えてる~!!???

はい。
喧嘩を売ってる訳じゃなく(売りたい気持ちは否定しない)夢に対してよく見かけるこういう文言、だいたいブーメランか跳弾かまして別の人撃ってるよねっていう話です。

以下は自分の書きたいこと吐き出してるだけでまとまってないから注意な!乱筆乱文注意な!


かなりのリツイートが回って夢女子も腐女子もすさまじい紛糾を見せていましたね。
私の周りにも「夢に腐を呼び込むな」と憤る夢女子がいれば「その二つが相容れる訳がない」と嫌な顔をする腐女子がいて。すげえ意見が分かれて炎上したり延焼したりして正直わくわくしてる。
私は夢女子の方に偏ってるから夢女子として書きます。独り言です。

夢を嫌う人の夢を嫌う理由ってたいがいが「二次創作内に異物(≒自分)なんかを入れて好き放題に原作を破壊している」みたいな感じになるじゃないですか。言葉を強めれば。
破壊する!クソ野郎!とまでは言わないけどそう思ってる節あるじゃん?いい年こいてごっこ遊び恥ずかし~wwwみたいな。キャラくんに頭撫でられたり好きって言われたり恋愛したいって恥ずかし~wwwみたいなの。
いやいやそんな風に思ってないよーって人もいるとは思うけど、今季やってるアニメ(2016年11月現在)のユーリ!!!on ICE見てる!?すごいアニメだよね!アレに関して「勇利主人公の夢小説じゃん」みたいな意見があったらしくてその話がちらっと回ってきたんだけど、正直夢女子の私にしてみたらもうハテナ乱舞って感じで勘弁してほしい感ある。

いやだから夢小説ってのは異物を尊き絶対正義原作にぶち込んで汚すから嫌われてるんでしょ?それは知ってる。
でも夢小説が嫌われがちというか侮られたり馬鹿にされたりしやすい理由にもう一つあって、それがたぶん「ゆうりくんしゅじんこうゆめしょうせつじゃん~」なんだと思う。
端的に言えばご都合主義のシンデレラストーリーがそれなのかなって。
夢小説あるある(笑)の話題の種にされやすいのもそれなんだよね~。平々凡々の夢主ちゃんが跡部様にぶつかって「なんで避けないのよ!」って突っかかっただけで「お前面白いな」って興味持たれてそこから恋と夢主ちゃんのシンデレラロマンスの始まり始まりみたいなのがもうべったべたでネチャネチャしてて使い古された少女漫画のストーリーを煮詰めて焦がした部分食っておいしいのかみたいなそういう笑い方されてる気がする。被害妄想?

「夢小説じゃん」が侮蔑の言葉として使われてるときって割と多い。
というか自分が夢女子だから目につくだけかもしれないけどま~目につく。
メアリー・スーと同じぐらい使われてるように思うしもっと口汚く「ドリ臭い」も見る。
まぁ腐臭がきついみたいな言い方も見かけるからBLっぽい展開やキャラとか物語に対してそうつかわれてることも少なくはないんだけど、何年何十年にもわたる戦いの中でBLは市民権を得てきて美術手帖でBL特集が組まれたりBL論とかって社会学者っぽい人が分析してたりするし、認知は深まってきたと思う(もちろんBL者の中にも勝手に的外れな精神分析されて憤ってる層もいるかもしれないけど分析って結局解剖なのでされる対象にとっては不愉快なものだもんね~


だからってBLがイチ抜けたからって夢を貶めることなくない?

「夢小説っぽい」とか「これは実質夢」って言葉は夢女子の間でも使う。
けっこう気安く使う。だって悪意がないから。仲のいいおたく女の間では「ああ~こういうのフォロワーが好きそう」
って思ったらお互いの共通概念を使ってすごく気軽にお勧めする。腐女子の間では「これめっちゃホモだから読んで」「○○くんがしこいしモブおじさんの登場が待たれる」みたいに漫画やアニメをすすめてるのと同じノリで「これ夢女子すきでしょ」とか使う。
使う対象はバラバラ。夢女子も一枚板じゃないから多分個々人の「夢っぽい」もバラバラなんだけど、でもまぁ夢っぽいってフォロワーが言ってるから一定の信頼はおける作品だしそこに悪印象はない。語彙力のない人の「やばい」ぐらい軽い。

でも夢小説や夢創作に触れていない・触れたのが数年前で現状を知らない・夢に悪印象がある人の「夢っぽい」は見るに堪えないぐらい悪意を感じる。被害妄想?そうだと信じたい。

「夢っぽい」には大別して2通りあると思う(それ以上にあれば教えて
1:原作に出てこないオリジナルキャラが出演するなど
2:主人公のワンマンプレイ・シンデレラストーリー・ご都合主義展開など

1の場合はメディアミックスされたときに生まれたり、あとは二次創作に対しても使われる。
メディアミックスってのは劇場版が作られたときにその映画内だけに出てくるオリジナルキャラが物語のキーになったりして話が動いたり、もっと小規模なとこをつくとジャンプノベルの外伝とか短編集とかあるじゃん。そこに出てくるモブとか漫画本編に出てこないけどちょっと原作キャラと関わりを持つオリキャラとか。そういうのすごく夢っぽい。
二次創作に対してはあんまり言うべきじゃないのかもしれないんだけど言う。悪意がないから。
キャラくんの捏造幼馴染とか顔出し審神者とかの漫画が何千RTを引きつれてTLに現れたとき、すごいいい時代になったなぁ、って思うのと同時に「夢ってラベルをはがすとこんなにもたくさんの人に見てもらえるんだ」って思った。
いいなーって思った。
だって夢絵はずっとSNSなんかに垂れ流していいものじゃなかったし、出すときは表紙にワンクッションおいて夢絵であることを注意書きしなくちゃならなかったし、夢嫌いな人はそこで背を向けちゃうし。当たり前みたいに恥ずかしいものだって隠されてた。
捏造妹は夢じゃなくてオリキャラ、女審神者は夢じゃなくてオリキャラ。そう思って世に出した人はなにも悪くないんだけど、そこで「夢」に対してあまりにネガティヴなイメージがついてることに絶望するしかなかった。
長々書いたけどこれについては別にいい。
夢小説の始まりが「原作に登場しないキャラを名前変換のパワーを借りて登場させる」なので原作に出ないオリキャラを夢って言うのはいい。メアリ・スーに関してもまぁいい。


問題は2だ。
夢嫌いな人に限って夢の定義がグダグダであるみたいなとこあるよ。
ゴキブリ嫌いな人ってゴキブリの絵描かせたら足10本ぐらい書くでしょ。
いろいろ引用してみる。

夢小説とは

夢主さえ居れば何を描いてもOKみたいなとこあります。個人の好みはさておき、とてつもなく自由です。

腐女子こそ夢小説を書くべき論 - 模索中

wikipediaさんが杉浦由美子さんの著作ケータイ小説のリアル』という本から引っ張ってこられた夢小説の定義は、「特定の登場人物の名前を読者が自由に設定して読むことの出来る小説」とのことです。名前変換ができる小説なので、夢小説はそのまま名前変換小説とも呼ばれたりします。恋愛、友情、家族愛、傍観など、色々なシチュエーションのお話があります。夢主と呼ばれる名前変換の対照となる主人公は、女であったり男であったり、受けであったり攻めであったり、人外であったりと様々です。”

夢小説を笑う文化 - 万年冬眠中

夢の特徴は「自己投影できるオリジナルのキャラクター(≒自分)」を登場させること。

夢小説① ーそもそも夢とはなんなのかー - はるゆる日記

はいバラバラ。
個人的には「作品内のとあるキャラクターの名前変換ができるようになっている作品群」でいいと思う。
それだとネームレス小説とか夢漫画(○○カレシシリーズとかあるね)とか夢本を取りこぼしてしまうんだけど、定義の中心核はそれでいいと思う。例外は例外としてとりあえず置いておきつつ、書いたその人が夢のラベルを使うのならそれを尊重する。

夢って単純に手法なんですよ。
あなたの夢叶えてしんぜよう~キラキラ~って放たれたJavaスクリプトとかphpの魔法に「ご都合主義シンデレラストーリーにしろ」なんて意志は宿ってない。
実際問題夢ってそういうご都合主義シンデレラロマンス多いし…っていうのももっともだけど、でもそれってBLだってそうじゃないの。
二次創作なら主人公受けが多いでしょ?スペック高めのライバル攻めくんに愛される受けくん。受けくん総受け愛されハーレム。部室の隅でセックスしてばっかり!ライバルとしての敬意とか友情とか信頼とかチームメイトとしての友愛もぜーんぶ安っぽい恋愛感情に変換してホモホモ萌えてセックスさせてばっかり。そんなのばっかり。「今はそうじゃないよもっとちゃんと男性同士の葛藤があったり恋愛要素を抜いても面白い作品だってあるもん!」

はいはい知ってます。でもその言葉そっくりそのまま返します。「今は男キャラに女夢主が愛される話ばっかりじゃなくて、世界観考察しっかりしてたり恋愛要素抜いても面白い夢もあるもん!」

全体的に作品の練度が低いとか稚拙とか思われてるんだろうけど、まず

実を言うとそういった夢小説は、長年夢小説を読んでいたり、書いていたりする人にとっては、夢小説という文化全体の、ほんの上澄みに過ぎないんですよ。長いこと夢小説を消費している閲覧者は目が肥えてくるし、書いている創作者の文章は多少なりとも洗練されてゆきます。長年界隈にいる創作者は検索避けを覚えて隠れますし、閲覧者はそれを探す術を学びます。長く浸っている者ほど深層に行くんです

夢小説を笑う文化 - 万年冬眠中

ピクシブみたいにランキングで上手い人の創作探し放題ユーザー検索で絞り込み放題の世界じゃないので。見つからないんですよ。そもそもサーチに登録してない人とかもざらだし(リンクを辿るしか方法がない)

夢小説って出来て十年強だか弱だかの若いカテゴリでまだまだ成長過渡期にあるんですよ。
その妄想というか「キャラくんとお喋りしたい」「この世界に入りたい」欲求が原始的で誰もが持っているものであるにも関わらず、夢としてのジャンル成立してからの歴史が浅く、またその特徴上歴史が辿りにくいのもあって、識者による分析は進まないし十年経っても「キャラ×自分の恋愛妄想の痛い創作カテゴリ」のレッテルが剥がされずにいる。
とかいうと「キャラ×自分の自己投影型夢女子は追いやられる」って夢女子から非難が来るんですけど、定義が広がることによってその原点に近い創作が貶められるとか追いやられるとかそういうのはたぶんない。
多様化が進んで割合としてそんな創作が減ってしまうように見えても、創作母数が増えれば気にならなくなるはず。

といってもお前にそんなこと言われたくないって言われそうだな~。でも「夢はこの定義!」ってがちがちに固めたところで発展性はないし書き手を増やして多様化を促して夢創作楽しいよーって人を呼んだ方がいいと思うんだけどこういう文章を増田で書くこと自体が倦厭の理由にされそうで怖いね。


もうちょっとまとまったら追記なり再構成するかも。

その他参考

makun0uch1.hatenablog.com

 

tdmmz.hatenablog.com

 

ohutonmogmog.hatenablog.com

 

ohutonmogmog.hatenablog.com

 

夢小説を「黒歴史」と見下す風潮 - Togetterまとめ

 

togetter.com

 

togetter.com

 

togetter.com

はてなとか棘で夢小説について話してる人集めたら偏ってしまってるなー。
たぶんこの人たち以外にも内心いろいろ思ってる人がいて(最初のまとめでもブチ切れてる夢女子いっぱい見たし)その人なりの夢小説世界があるはずで、私はそれを読んでみたい。
文章は文章でしか殴れないしRTしたあとにぐちゃぐちゃ言うよりも私みたいにまとまりなくても考えを書いてみてほしい。傲慢っぽい言い方になってしまった。